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◆我輩は人間であるつもり

.09 2010 雑文 comment(0) trackback(0)


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               20100325091344.jpg

唐突な話ではあるが、自分は家族と同居している。
現在の家族構成は、自分、母親、猫の3人である。
猫というのは猫畜生と呼ばれるように、動物であって、上記のように2つの人間に加えて合計3人、とするのには通常違和感を覚えるが、自分にとっては、彼とは人間関係が構築されており、勘定する際には「人」としても差し支えないと思い、人で換算した。
しかし、今度は猫と人間の間に人間関係があるとはなんぞや、という問題が浮上してくるが、確かに彼は猫科の猫でまぎれもない猫である。
出会いは、かれこれさかのぼること14年前。
夏の終わりごろだったか、豪雨が続いていたときに、当時学生であった自分が帰宅し、玄関のドアを開けようとすると、巨大な毛玉みたいなのが足元に飛んできて、なにやらギャーギャーとわめく。それが当時手のひらサイズの野良であった彼なのだが、玄関先で雨宿りだけしていけ、と語りかけ、保護することはなかった。
また、当時同居していた姉や母親も帰宅した際、彼のギャーギャーというわめき、つまりは「おい、拾ってくれ」というアッピールに遭遇したという。
それで、深夜にまだいるのかと玄関を開けるといなかった。
しかし、また豪雨であった翌日、同じように我が家の家族がそれぞれ帰宅した際、彼は疾風のごとく軒下から現れ、例のアッピールをするのであった。
なんだか不憫であった。
手のひらサイズで、実母と離れ、豪雨の中知らん人間の家屋の軒下で雨露をしのぎ、住人が帰ってくるたび「なんとかしてくれ」というその彼の姿勢。ずぶぬれになりながら必死のアッピール。
結局家族で話し合い、家の中に入れてやることにした。
そして、雨が上がった日に外に出し、どこなと行けと放ったのだが、夜になると玄関に帰ってくる。
どうも彼の中では居候を決め込んだようであって、放置してもまた翌日、玄関先にいた。
結局、我が家で飼うことにした。

名前はその日買ってきた某バンドのシングル曲のタイトルからいただき「Ruru」と命名。
雄であったがまあ猫畜生のこと、どうでもいいかと思ってそれに決定した。

            3881698_939661664s.jpg

それから今日まで14年。
じっくり検証してみたところ、彼は飼う、飼われる、という関係を超えた存在となっている。
居住場所は自分の部屋が主で、その行動を見、接しているとやはり飼われている、と思っていないふしがある。
で、先に書いた「人間関係」に関して言うと、どうも彼は猫畜生にしながら、我が家の家族となったせいか人間らしさ、のようなものを持ち備えているのである。
例えば。

自分は、出社時間から逆算して午前6時10分に起きるように目覚ましをセットしているのだけれども、まあ眠い。なのでスヌーズ機能を使って「あと5分だけ~」なんてことをやってしまうのである。
しかし、それをRuruは許さない。
「おいおい、はよ起きんかい」と自分の顔をペロペロと舐め、起こそうとする。それでもダメなら布団の周りで暴れ、注意を引こうとし、それでもダメなら、普段「ここには乗ってはいけないよ」と教え込んでいる机やTV、精密機械などの上に敢えて乗り、「おおい。乗ってるぞ。怒れよ。んで起きろ」とアッピールするのである。
そこまでされたらさすがに起きるしかない。
ところで、自分は日常、夜はシャワーで簡単に汗を流し、頭や体を洗うのは朝、としているのであるが、このRuruは現場監督よろしく、朝、浴室に入ってくるのだ。
そして、バスタブの蓋の上に鎮座し、頭や体を洗う自分を注視し、「ぼちぼちシャンプーすすがんと時間がなくなるぞー」と言っているのかどうかは知らんが、なんだかそんな感じで、自分の一挙手一投足に対して、コーチングをするのである。
そして、すべての準備が整って、いざ出社となると玄関ののぼりのところにきて見送るところまでする。

そして夜、自分が帰宅すると、サッシの門の開け閉めや、ガレージのアコーデオン式の柵を開け閉めする音を聞いてなのか、玄関を開けると必ず彼はそこにいて、「お前今日もどこ行っとったんや」とギャーギャー騒ぐ。

と、なにやらだらだらと書いているとえらく長くなってしまったが、他に、自分が何かで落ち込んでいるときは、何も言わずにそっと横に来きて寄り添うようなことをしたり、自分のテンションが高いときは、「おう、ほなら俺とわいわい遊ぼうぜ。紐か猫じゃらしか何か持って来い」というような意欲的な顔をして付きまとってくる。
それと、自分ががビールを飲んでいると必ず「俺にも飲ませろ」と言って寄ってきて、分け与えるときっちり飲む。そんで酔う。なかなかおもろい。

なんやかんや書いたが、自分にとって、彼が行うことの中に、畜生からはずれ、人間同士の家族のような思い、つーか念みたいなものを感じるのである。

えー、ここまできて言うのもなんだが、この話にオチはない。

                             1547909_2213402856.jpg

さて、その彼も今年で14歳。
人間でいうとかなりの高齢で、おそろしく元気ではあるものの、すでに老人なのである。
家猫は15年から最長20年ほど生きるという話を聞いたことがあるが、いずれにせよ、老齢になった彼の方が自分より残された寿命は短いのは確実で、いつの日か見送ってやらんといかん時が来る。

はっきり言って、自分は彼がいないとダメだ。
いなくなると、いわゆる「ペットロス」になるのは確実だと思われる。
想像すると当たり前だが悲しい。
しかしそれは現実で受け入れないといけない。
「悲しいがそれが事実」

SAD BUT TRUE

メタリカとかいうバンドの曲にそんなのがあったなあ、なんて思いつつ。






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